今日は、ここ数年の間で私が最も感動した漫画、小林よしのりさんの作品「卑怯者の島」について、お話しいたします。
「戦争論」という彼の作品を読んだとき、南京大虐殺は実はなかった、とか、韓国の慰安婦問題でも、吉田清治という文筆家の書いた「日本軍の命令で朝鮮人女性を慰安婦として強制連行した」という話は嘘だった、などという事実を知り、衝撃を受けたものでした。
それまでの私は、学校で習った歴史を疑うことはありませんでしたし、ましてや、マスメディアが事実に反する報道をするなどということは、想像さえしていなかったのです。
モーツァルトやマイケル・ジャクソンのことを研究した今となっては、歴史は権力者や勝者の目線で語られ作られるものだ、という事実も理解できるようになりましたが。。。
「戦争論」を読んで真実を知り、つい、気力が失せてしまいそうになりましたが、小林さんの漫画には、そんな暗い現実も吹き飛ばしてしまうような、圧倒的な描写の力と、ポジティブな心意気と、ニヒルで緻密な世の中分析と、笑いを誘うような正義感があったので、私の心は随分と救われました。こんな方が日本にいらしてくださって本当に心強いな、と、ある種の安堵感すら覚えたほどでした。
モーツァルトがどんなに暗く悲しい曲の中にでも、必ず一筋の希望の光をそっと織り込んでくれたように、小林さんの漫画からも、残酷で理不尽な現実をも決して負けじと跳ね返す、エンターテインメントの底力のようなものを感じました。
小林さんを信頼できる一番の理由は、彼がオウム真理教を批判してVXガスで命を狙われたにもかかわらず、それに決してひるむことなく、悪いものは悪いと、オウムを批判し続けた勇敢な態度にありました。まさに、命がけで正義を貫いて見せてくださったのですから、彼も「サムライ」の一人だと、私は確信しています。
そういう経緯もあって、去年2015年の夏、戦後70年特別企画の作品として出版された「卑怯者の島」を読んだわけですが、これは、まぎれもない不朽の名作だと感じました。
だれも戦争なんてしたくないし、戦地へなんて行きたくない。でも、不運な時代に生まれて、不幸にして戦地へ行くことになったとしたら、私たちはどんな行動をとるのだろうか、とリアルに考えさせてくれる物語だったのです。
冒頭の洞窟のシーンから、息を呑みました。長い戦闘を生き残った兵士たちのやせ細った身体やウジの湧いた傷口などは、目を覆いたくなる迫力満点の絵でしたし、彼らが生き残った背景も、単なる運だったり、卑怯な心のおかげだったりして、「私ならどうしただろう?」と自問自答せずにはいられなくなりました。
故郷にいる家族や大切な人たちを思って「靖国で会おう」と散っていった英霊たち。彼らの純潔なサムライ魂は、死という現実を前にして、疑う余地はありません。ですが、一方で、「御国のためにがんばって!」と男たちを戦地へ送り出した人々が、帰還した兵隊たちを厄介者扱いしたり、負け犬とののしったりするのは、どういうことなのだろうかと考えさせられてしまいます。
ラストのバスジャックをする現代の若者と、その場で自決する主人公(戦時中から時代も過ぎ、今やすっかり老人となった帰還兵)とのやり取りのシーンも含めて、小林さんが、現代に生きる私たちに問いかける真摯なメッセージには、計り知れない意義深さがあると思いました。
「敵対する人間の細胞を破壊し合い、憎むべき個体を停止させることに熱中する戦争」なんて、絶対にしてはいけない、と、心の底から体感できる素晴らしい作品です。