皆さん、ブログを見に来ていただき、ありがとうございます。国会では連日、森友学園の問題が取り上げられていますが、北朝鮮の物騒なニュースが入る度に(数日後にまた核実験をするようですね)、今、最優先で取り組むべき課題は、やはり、北朝鮮によるミサイル発射やVXガス散布などに国レベルで備えることではないかと感じています。
今できる対処策を含めて、JRPテレビジョンで少し話をしてきましたので、前回の収録分とあわせて、お時間のある時に観ていただけたらありがたいです。
「北朝鮮拉致問題 なぜ実行犯の朝鮮総連が捜査されないのか」
(2017/3/16)
「北朝鮮 弾道ミサイル発射の可能性 改めて示唆」
(2017/3/24)
日本人の生命と財産を守り、日本の領土を守るためにも、他人(アメリカ)任せにはしないで、自分のことは自分で守るという気概を持ち、防衛についても実質的な議論を早急に進める必要があると思います。
日本が本気で自国を守る態度を示さないかぎりアメリカが率先して日本を守ることはない、というアメリカの本音も漏れ聞こえてきています。自衛隊の現状も予算不足や人手不足で、かなり厳しいようですから、この際、様々な問題を抜本的に考え直すべきだと感じます。
・・・ということで、国内外の情勢が刻々と移り変わり、私自身の気持ちも、つい気ぜわしくなりがちなこの頃ですが、先日、19日の日曜日には、新宿文化センター(小ホール)で開かれた久元祐子さんのピアノ・コンサート「進化するモーツァルト」を聴きに行き、久しぶりに、素敵なリフレッシュの時間を持つことができました。
実は、思わぬハプニングがあり、会場へ着くのが遅れてしまい、とても残念なことにコンサートの1曲目「幻想曲 ニ短調」KV397は聴き逃してしまいました。
それでも、2曲目の「ピアノ・ソナタ イ長調」KV331と、3曲目の「ピアノ協奏曲第26番 二長調」KV 537『戴冠式』(2台のピアノ版)は、しっかり聴くことができたので、不幸中の幸いでした。
「ピアノ・ソナタ イ長調」KV331は、第三楽章のアレグレット「トルコ行進曲」がもっとも有名ですが、今回は、2014年のモーツァルト自筆譜発見に基づく版での演奏ということで、私も以前からとても楽しみにしていました。
この自筆譜はハンガリーの図書館で発見され、クラシック界に一大センセーショナルを巻き起こしましたが、小説を書いているときに深く研究した「露土戦争」についても思い返しながら、モーツァルトの心に寄り添うよう演奏に聴き入りました。
会場は音響効果の高いホールでしたが、私は最前列の、しかもありがたいことに久元さんの両手とピアノの鍵盤が目の前に見える位置の座席を確保することができていたので、指の動きをはじめ、演奏されている久元さんのご様子を全て至近距離で見ることができ、素晴らしくスリリングな体験を味わわせていただきました。
たとえモーツァルトの貴重な楽譜があったとしても、彼に匹敵するほどの技術と心を持った演奏家がいないかぎり、天才の生み出した音楽が、現代の私たちの耳に届くことはありません。
そういった意味でも、世界で指折りのモーツァルト研究家でいらっしゃる名ピアニストの久元さんが、目の前でモーツァルトのピアノ演奏を再現してくださるなんて、こんな幸せなことはありません。
やはり、私には、モーツァルトが引き合わせてくれたとしか思えない不思議なご縁を感じるのです。
久元さんの指の動きは、十本の指が完璧なしなやかさで、一つの無駄もない滑らかな動きをしていらっしゃいました。しなやかであるからこそ、力強い音も瞬時に響かせることができ、そこに、モーツァルトの魂が降臨してきたような豊かな感情が加わるのですから、その研ぎ澄まされた音が、繊細で美しいことは言うまでもありません。
ほんとうにモーツァルトが演奏しているのではないかと錯覚してしまうほどでした。
まさにモーツァルトや多くの芸術家が目指した「真理の探究の最終段階・・・自己の神殿」に到達していらっしゃる「神技」だと感じました。
「今回の『トルコ行進曲付きソナタ』では、これまで短調で弾かれていた箇所が実は長調だったりして、メロディーの違いを味わったり、そこから感じられるモーツァルトの深層心理に思いを馳せたりできるのも楽しみの一つです」と、久元さんがおっしゃっていました。
このアドバイスはとても参考になりました。私はそれに加えて、歴史的背景もあわせて曲を楽しみたいと思っていました。
小説執筆中、モーツァルトの研究をしているときに知った重要な事実の中に、皇帝ヨーゼフ二世が指揮を執ったトルコとの戦争で皇帝と共にオーストリア軍に加わったのは、おびただしい数のセルビア人だった、ということがありました。
モーツァルトを尊敬していたベートーヴェンが、ハンガリーやクロアチア、そして、セルビアに心を寄せていたのも、その辺りと関係があります。
オーストリアとトルコとの国境付近に暮らしていたセルビア人たちは、長年、トルコからの危険にさらされながら、オーストリアからは見放されたような厳しい環境で(神聖ローマ帝国に属するハンガリーの大貴族から厳しい租税を負担させられていて)、苦労を重ねて貧しく暮らしていたのです。
しかし、ヨーゼフ二世とその跡を継いだ新皇帝レオポルト二世は、その虐げられていたセルビア人たちに、皇帝としては初めて、心ある手を差し伸べたのです。(もちろん、皇帝は、ハンガリーの大貴族たちから猛反発を食らいましたが・・・)
セルビア人たちを、祖国オーストリアの仲間だと明確に認め、皇帝直属の民だとみなし、重税の負担を軽くしたのが、ヨーゼフ二世だったのです。
そんな民想いのヨーゼフ二世に対して、セルビア人たちも皇帝の心に応えるべく、オーストリア軍の核となって、ヨーゼフ二世と共にトルコと勇敢に戦ったのでした。戦後も、彼らの地位向上に、皇帝が一役買っています。
これはモーツァルト史では当然ほとんど語られていませんし、西洋の歴史でも軽視されている事実です。
ちなみに、オーストリアがトルコと戦うことになった理由は、当時オーストリアの同盟
国だったロシアを援護するためでした。ロシアとトルコとの敵対関係には長い歴史がありますが、その対立を打ち破って、トルコと友好な関係を築いた現在のプーチン大統領は、なんだかんだと言っても、ロシア史に名を遺す実力ある指導者だと言えると思います。
ちょっと話がそれましたが、そんな事情で、モーツァルトもこうした皇帝の意向に賛同し、皇帝と兵士たちとの絆を想って、勇ましいオーストリア軍を称える意味も込め、『トルコ行進曲』を作ったのではないか・・・、そんな風に私は推察しています。
私はそうした背景を知っていたので、ヨーゼフ二世が毒殺された後、新皇帝となったレオポルト二世のフランクフルトでの戴冠式で演奏されたという「ピアノ協奏曲第26番 二長調」KV 537『戴冠式』(2台のピアノ版)にも、深い思い入れがあり、厳粛な気持ちで演奏に聴き入りました。
久元さんのお話によると、この曲の第二楽章の冒頭の左手パートを、モーツァルトは楽譜に書き残さなかったようです。当時のコンサートでは、こうした欠落部分は、モーツァルトお得意の即興演奏がなされたのだと思われます。(ちなみに、バルバラ・プロイヤーも即興演奏が得意だったので、この曲も秘かに弾いたのかな・・・などと想像したりもしました)
今回は、久元さんの即興演奏や独自に生み出されたカデンツァも見どころの一つでしたが、いずれもはっとするほど斬新な美しいメロディーで素晴らしかったです。
モーツァルトの時代にはピアノの鍵盤が5オクターブしかなかったそうですが、久元さんは、あえて、モーツァルトの時代にはなかった高音や低音を駆使して、天国のモーツァルトが聴いたら目を丸くするだろうな・・・という遊び心も交え、優雅な音のコントラストをメリハリを付けて波打つように演奏されていました。
私が今まで聴いたどの26番よりも輝いていました。
ぜひ楽譜に残してほしいな・・・と思っていたところ、コンサート終了後、久元さんと少しお話をする機会を持てたのですが、「今、楽譜を書いているところです」とおっしゃっていたので、近いうちに、画期的な楽譜が出版されるのではないかと、ワクワクしている私です。
久元さんには、是非、日本から世界に、モーツァルト研究という分野で、新風を吹かせていただきたいです。そして、クラシック界で世界を日本が・・・久元さんが・・・牽引していっていただきたです。久元さんには、そのお力と才能がおありですから・・・。
アンコールで、ショパンの「別れのワルツ」と「幻想即興曲」を弾いてくださったのも嬉しかったです。
実は私、ショパンと、彼より六歳年上のジョルジュ・サンドという女流作家との恋物語も、以前から小説に書きかけているので、ショパンに関しても語り出したら止まらなくなってしまいます。
そしてショパンも、モーツァルトの音楽をこよなく愛し、モーツァルトをとても尊敬していた音楽家でした。
とにかく、ほんとうに素晴らしいコンサートでした。久元さん、素敵な演奏を聞かせていただき、ありがとうございました。
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