皆さん、こんにちは。
ブログを見に来ていただき、ありがとうございます。
今日は、プラハでのことを、少しお話しします。
偶然だったのですが、プラハに着いた翌日の7月6日が、
「ヤン・フスの日」と呼ばれる宗教記念日で、
プラハ市街は、お祭りムードで盛り上がっていました。
大勢のプラハ市民が街に繰り出していただけではなく、
世界中からも観光客が押し寄せてきていたようでした。
私は、フランス人やイギリス人、それにスペイン人のカップルなどに、
陽気に挨拶されたので、観光客が多いことに気がづきました。
教会の案内の方でさえ、「英語が話せない」とおっしゃっていたので、
観光客同士、会話したくなるような感覚は、確かにありました。
私が道を尋ねた相手は、スマホを片手に歩いていた東南アジア系のカップルでしたし・・・。
とにかく、旧市街も、新市街も(新市街といっても14世紀に造られているのですが)、
明るく浮かれた人たちで、とても賑わっていました。
新市街の、緑豊かなヴァーツラフ広場にも、
旧市街の、ヤン・フスの銅像のある広場にも、
屋台や出店がたくさん並んでいました。
至る所で音楽が流れ、大道芸が繰り広げられ、
時折、高らかにゴシック様式の塔の鐘の音が鳴ったりして、
まるで、ディスニーランドが魔法にかかり、
中世の街並みに様変わりしたような、異国情緒あふれる光景が広がっていました
お祭りの主役ヤン・フスとは、
14世紀に活躍したボヘミア出身の宗教思想家です。
プロテスタント運動の先駆者とみなされ、カトリック教会ににらまれ、
「真実は勝つ」との言葉を残し、火刑に処せられた殉教者です。
チェコ文学史にも大きな影響を与えたヤン・フスは、
1967年のプラハの春でも、1989年のビロード革命でも、
真実を求めて戦ったチェコ人たちの精神的支柱となった英雄でした。
モーツァルトはカトリック教徒でしたが、
プロテスタントなど全ての宗教を敬いたいという思いを強く持っていました。
最後に書いたオペラ「魔笛」でも、
重要な場面で、プロテスタントのルター派のコラールを用いたほどです。
プラハは、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を初演した街でもありますから、
モーツァルトもヤン・フスのことは、当然、知っていたと思います。
マイケル・ジャクソンは、
1996年に行った「ヒストリー・ツアー」で、
自身の巨大な銅像を、プラハ旧市街のレトナ公園に建てたのですが、
本当は、ヤン・フスの銅像の真向かいに建てたかったようです。
さすがに、旧市街広場では狭いということで、許可が下りず、
かつてスターリンの巨大な銅像の建っていたレトナ公園で妥協したそうです。
レトナ公園は、ヴァルタヴァ(モルダウ)川の対岸の高台にある公園で、
悠然と、プラハ旧市街を見下ろせるような場所にあります。
色々と調べていくうちに、
今、私の中では、ヤン・フスと、モーツァルトと、マイケルが、
ごく自然に重なり合い、
「真実は勝つ」と、声をそろえて訴えているような気さえしてきます。
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