皆さん、こんにちは。
お忙しい中、ブログを見に来ていただき、ありがとうございます。
今日は、ウィーンの美術史美術館にあるフェルメールの名画、
「絵画芸術(The Art Of Painting)」について、少しお話しいたします。
この絵は、私の小説とも関係があるのですが、
シュールレアリスムの巨匠サルバドール・ダリが、
「一時間後に人類が滅びるとして、一作だけ絵を残せるとしたら、
フェルメールの『絵画芸術』を選びたい」と答えたといわれるほど、
ダリを虜にした絵でした。
第二次世界大戦中には、アドルフ・ヒトラーが所有していたことでも有名です。
1666年頃、フェルメールがこの絵を制作した後、
死ぬまで、最も大切な絵の一つとして手元に置き、
その後、18世紀の後半まで、だれが所有していたのか不確かとなっていました。
ところが、18世紀の後半に、オランダのライデン出身の医師で、
オーストリアのマリア・テレジアの主治医となった、
ゲーラルト・ファン・スヴィーテン博士が、
オランダの毛織物商人の組合を通して手に入れたのです。
スヴィーテン博士は、ウィーン大学医学部の改革などを行った人物ですが、
その息子、ゴットフリート・ファン・スヴィーテン男爵は、
モーツァルトのパトロンとして有名な貴族です。
父親が亡くなると、この「絵画芸術」もスヴィーテン男爵が相続することとなり、
モーツァルトが生きていた頃は、
スヴィーテン家に、この絵が飾ってあったというのです。
私が色々調べていくうち、わかったことは、
このスヴィーテン男爵は、オーストリアの検閲や教育などのトップの職に就いてはいたものの、
度々、皇帝と敵対し、公の文書でも、激しい対立の跡を残していました。
どちらかというとプロイセン寄りの立場だったようです。
モーツァルトは、皇帝と、スヴィーテン男爵との間で、
自身の立ち位置をどう定めるか、迷っていた時期があったようです。
マイケル・ジャクソンも、スピーチなどで述べて憂慮していた
「ニュー・ワールド・オーダー(ワン・ワールド)」の原点は、
実は、このモーツァルトの時代にあったことがわかりました。
ちょっと堅い話になってしまいましたが、
小説では、エンターテインメントにこだわったため、
研究したことの9割は、泣く泣く省き捨てたので、
こういう細かいことを語る場がなくなり、
このブログに書き残しておきたいと思いました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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