倉敷の思い出 & ベルト・モリゾについて & JRPテレビジョン(13)

JRPテレビジョン
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皆さん、ブログを見に来ていただき、ありがとうございます。今日は、倉敷の思い出を少しお話ししようと思います。

ニュースを見ていたら、人材派遣会社のパソナ岡山が、首都圏をはじめとする大都市圏から岡山県の倉敷市へ移住を希望する人たちを対象にして、倉敷市内の企業への就労支援をする、という記事が出ていました。

私がこの記事に興味をひかれたのには、二つ理由があります。

一つは、デフレを脱却し、内需中心の経済成長を取り戻すために、地方の活性化も必要だな、と考えていた矢先の、パソナ岡山のこの新しい取り組みに、大いに期待したからです。

そしてもう一つは、かつて数年間暮らした岡山県倉敷市のことを、とてもなつかしく思い出したからでした。

語り始めると長くなりそうなので、今日は、その中でも特に、倉敷の観光スポットとして有名な「美観地区」のお話をしたいと思います。

倉敷は、江戸時代、幕府の直轄領(天領)で、様々な物資の集積地として栄えた町でした。

白壁の屋敷や、倉敷川沿いの柳の並木道など、江戸時代のままの風情が、「美観地区」と呼ばれる一画に、今も風雅に残っています。

美観地区のシンボルは、なんといっても、日本最初の西洋美術館「大原美術館」です。

私は岡山にいた少女時代から合わせて、これまで何十回も大原美術館を訪ねました。

エル・グレコやピカソ、ゴーギャンやセザンヌ、コローやマネ、モネやルノワール・・・みんな、この大原美術館で知った絵画の巨匠たちです。

この美術館が身近にあったおかげで、私は、大の絵画好きになってしまいました。

五年前、本格的にモーツァルトの研究を始める前は、印象派の画家たちの研究を独自にしていて、かなり深みにはまっていました。

その頃書いた小説も、まだ手元にあります・・・。

印象派の画家たちの中でも、特に、ベルト・モリゾという女流画家のことが気になって仕方なくなりました。

彼女の絵は、残念ながら大原美術館には一枚もないのですが、マネの画集を眺めているとき、黒い服の似合う清楚で凛とした彼女の風貌に惹かれ、、この女性はだれなのだろう、と気になり始めたのです。


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    ベルト・モリゾ(1841~1895)


調べていくうちに、彼女が良家の子女で、少女の頃からアカデミーの権威コローの弟子となり、その後、自ら志願して、アカデミーとは一線を画す新進気鋭のマネに弟子入りした画家の卵だったことがわかりました。

画家の卵といっても、当時、良家の子女は、たしなみとして絵画やピアノなどを習うことが常識となっていて、周囲も本人も、ほとんどの場合、プロになることなど望んでおらず、あくまでも良縁を獲得するための花嫁修業という意味合いで、そこそこの技術を習得していたのでした。

ナポレオン法典が個人の尊厳や自由の基礎となっていたフランスでしたが、実態は、女性は家庭に入り夫に服従すべき、というような、かなり男尊女卑色の強い法律を守っている国というのが、当時のフランスでした。

熱心に絵の勉強に打ち込んでいたベルト・モリゾは、妻子あるマネに惹かれるあまり婚期を逃し、三十歳を過ぎたあるとき(当時は、かなりの晩婚です)、ふと思い立ったように、マネの弟と結婚する、という奇妙な選択をしました。

これって、だれかに似ていると思いませんか?

そうです、モーツァルトです。

アロイジアという歌姫にふられたモーツァルトが、アロイジアの妹のコンスタンツェと結婚したことと、少し似ていると思うのです。


ベルト・モリゾは、今現在も、マネ兄弟と同じお墓(パリのパッシー墓地)に眠っています。

「人はだれでも、秘密を抱えて死んでいくものなのです」

という意味深な言葉を残して・・・。

ただ、彼女の名誉のために一言添えておきますと、モーツァルトもそうだったのですが、結婚後、色々な思いを抱えながらも、パートナーと一人娘のジュリー(ルノワールが彼女の肖像画を描いています)を大切にしながら、マネ家の嫁として、誠実に責任を全うしながら生き抜いたようです。

彼女の、「自分らしく正直に生きたい」という思いを抱えながらもなかなか正直には生きられなかった心の葛藤を、私も理解できます。

社交的なベルト・モリゾは、いわゆる印象派の陰の立役者として、マネだけではなく、モネやドガ、ルノワールやピサロ、シャヴァンヌやセザンヌなどとも親しく交流を持っていました。

歴史を、陰で大きく動かしているのは、もしかしたら、女性なのかもしれませんね。

結婚後、ベルト・モリゾは、恵まれた生活をフルに活用して、意欲的に絵画を描き続けました。

男性たちのように遠くへスケッチ旅行に出かけることはできない主婦の身でしたから、日常のなにげない風景にスポットをあてて、女性らしいあたたかい目線で、秀作を次々と完成させていったのです。

しかも、だれよりも印象派の画家らしい描きっぷりなので、驚きます。

このベルト・モリゾの日本初の展覧会が、2007年に、かつて私が勤めていた会社「安田火災海上保険(損保ジャパン)」で開かれたことは、全くの偶然だっただけに、なおさら感慨深かったです。

現、「損害保険ジャパン日本興亜」の新宿本社の42階にある東郷青児美術館で開催されたその展覧会で、私がどれだけ感動に打ち震えたかは、言うまでもありません。

素晴らしい絵の数々が、今も目の奥に焼きついています。

それから・・・美観地区の話に戻りますが、倉敷川の川沿いに、「旅館くらしき」という老舗旅館があります。

歴史と伝統が感じられる旅館で、棟方志功や司馬遼太郎も好
んだという部屋(約260年前の米蔵を改装した2階の部屋)をはじめ、個性的な趣のある部屋が幾つかあって、そこから眺める外の景色が、とても美しく、心安らぐのです。

私は、「旅館くらしき」に泊まったことはありませんが、あるとき、とてもラッキーなことに、ランチの御膳を、レストランではなく二階の部屋で(部屋代なし)に食べさせてもらったことがありました。

お座敷の予約が入ってなくて、「空いているからどうぞ」と通され、ゆったりとした和室の部屋から外の川沿いの景色を眺めたのでした。

それはそれは美しい景観で、思わずため息が出て、心と身体が心底癒されるのを感じました。今でも貴重な思い出として、あの川沿いの、風流な柳の景色が目に浮かびます。

「旅館くらしき」でおすすめなのは、朝、早めの時間に、旅館の中の喫茶室でコーヒーや抹茶を飲みながら緑の庭園を眺めることです。

靴を脱いで、旅館の中へ案内されながら、趣のある木の廊下を通り抜けて奥の喫茶室まで歩くのですが、その数分間が、まるで秘密の迷路を歩いているようなわくわくしたトキメキの時間なのです。

この秘密の体験と、隠れ家のような喫茶室のことを知っている人は、地元の人たちの中にも、そうはいません。

ちなみに、コーヒーは、一杯600円です。

これもまた粋な「倉敷珈琲館」という、こだわりのコーヒー店(「旅館くらしき」のとなりにある、赤い扉が目印のコーヒー店)の、香りとコクのある豆を使っています。

人気の、藤戸饅頭付きの抹茶は800円。甘酒と小麦粉が原料の薄皮で、上品なこしあんを包んでいます。

藤戸は、源平合戦の古戦場として知られていて(藤戸の渡し)、源氏の将が平家の虚を衡いて大勝したとき、秘密の作戦を遂行するためにやむなく切り捨てた村人を供養するために、近くの民家から饅頭が供えられたことが、藤戸饅頭の由来だと言われています。

岡山の「大手饅頭」と似ていますが(こちらも私の大好きなお饅頭ですが)、歴史と伝統という点では、藤戸饅頭の方に軍配が上がるようです。

最後に、少し前の収録になりますが、JRPテレビジョンの動画をご紹介いたします。

お時間のある時に観ていただけたら嬉しいです。


「ジェフ・セッションズが司法長官に就任で、大物の逮捕劇がスタート」
(2017/2/10)


「新日米中小会議「日本の貿易黒字をなくせ」トランプの政策」
(2017/2/9)


「スティーブン・バノン中東七カ国 入国拒否の動機」
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「ヘンリー・キッシンジャーの共和党への影響力について」
(2017/2/10)

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